東福寺涅槃会


データ番号009_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説西暦紀元前四百七十九年(B.C.479)二月十五日はそも如何なる日ぞ。悲風徐に吹いて仏教の開祖釈迦牟尼(しゃかむに)は拘尸那掲羅城外跋提河畔沙羅双樹の下に、頭を北とし面を西とし右脇に臥しつつ、多数の弟子天龍鬼畜に囲まれ、昏々として大涅槃に入り給へば、一切の衆生いづれも慟哭して帰らぬ御霊を呼ぶ声かなし。この大聖の菩提を弔はむとて、洛中の寺々にては今も一月遅れて例年三月十五日涅槃会を催すが中にも、東福寺(とうふくじ)にては兆殿司(ちょうでんす)が応永十五年(おうえいじゅうごねん)六月に功を竣へし縦八間横四間の大涅槃像を掛け、香花を供へて諸人にも拝観を許す。この画まことに殿司が一世の心血をそそぎて描きしものなるからに、雄渾の業伎聖麗の意匠よく神に通じ、後人の追随を許さざるものあり。見る人いづれも恍惚としてある霊感に打たる。あはれ偉大なるは大聖の徳、名匠の業なるかな。