田辺玄々詞書墨竹図 本文我憶東曹粉著郎 琅玕寫就拂雲長 署名玄々寫併書(印) 読み下だし英訳メタ情報略伝* 田辺玄々( ~安政5年) 書家(豪刻家)。諱は祐憲又は憲。字は伯表、通称は飛騨、玄々はその号、尚松竹楓園、東田居等の別号がある。京都東寺の候人として法眼に叙せられている。家は東寺外山吹町にあって世々豊饒を以て聞えた。幼より書画を好み、僧無幻武元登々庵の門に遊んで書道を学び、また高野の僧空居から太師流の秘奥を授かった。尚又画枝を中林竹洞に受けたが篆刻は最も得意とするところであり、中年以後磁印の創作に没頭し一新境地を開拓するに至った。その著玄々印譜一帙二冊には当時の名流が何れもその絶技を賞賛している。頼山陽、青木木米、僧雲華等はその交友中の尤なるものであった。安政五年没、年六十五。(文政五 書(漢) 文政十三 書(漢) 再出 篆刻家 再出 書 天保九 書(漢) 嘉永五 書(漢) 再出 篆刻家)
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