嶋田正辰


詞書

古稀に成ける元日に

本文

報ゆへきこそなかりける六十餘り
つかへし君かふかきめくみは

署名

正辰

読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 嶋田正辰() 文雅家。橘を姓とし名は正辰という。優学館と号した。雲上明覧弘化四年の条には九条家侍島田左兵衛権大尉とあり同嘉永三年には西本願寺御家司筆頭島田左兵衛権大尉と出ている。九条家から西本願寺第二十代門主広如上人に仕えて数々の功績を残した。その最も大なるものに慶応元年より三年迄三ヶ年の日子と金一万一千六百三十余両をもって竣功した加茂川荒神口の勤王橋献架の一事がある。その擬宝珠に奉行として島田陸奥守橘正辰の名が彫られている。更に本願寺門主文庫写字臺文庫整備の際には島田正辰が総宰となっている。明治初年座列の名簿には諸大夫家司島田陸奥守橘正辰と出ているから当時まで生存していたことが知られる。従来文久二年七月二十一日公武合体論を唱えて浪士のために暗殺された九条家出仕島田左近龍章と同一人のように伝えられているが明らに別人である。(天保九 文雅 嘉永五 文雅 慶応三 文雅)
寸法: 縦36.6cm 横6.05cm
紙質: 和紙
製法: 厚短冊(裏打あり)
模様: 書き模様:緑線に銀の刷引き
書風:
用字:
書式: 二行の頭を同じ高さに揃える:あり
風: