桜井梅室詞書善甫の茄子釜を鋳物師能模寫したるをみて 本文さしてたる口にまかする手取釜 署名梅室 読み下だし英訳メタ情報略伝* 桜井梅室( ~嘉永5年) 俳人。名は能充。俳号は初め雪雄、素信又は素心、後に梅室と改め通称とした。方円斎、陸々等の別号がある。金沢の人、加州公の刀研師桜井新九郎の子、十六歳俳諧に志し槐庵馬来、高桑闌更に師事した。後家職を弟子に譲り京に上って俳諧以て立つに至った。その間、江戸滞留十余年の後、金沢に帰省したが再び京に上り嘉永四年には、二条家から花の下宗匠の許しを得た。「梅室家集」「方円俳諧集」等の著作がある。嘉永五年十月一日没、年八十四。(嘉永五 文雅)
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