蜷川親胤


詞書

寄橋恋

本文

思ひをはかけて渡せる橋なれは
ゆく末長く楽しかりけり

署名

親胤

読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 蜷川親胤(天保2年~明治15年) 漢学者(考古家)本姓宮道蜷川氏。初名與三郎、諱親胤、後に図書。京都の人東寺の坊官蝋川子賢の息天保二年五月二十三日生れ。安政六年の以文社名簿には東寺蜷川図書と出ており明治四年の職員録には太政官少史従七位守宮道朝臣式胤蜷川とありその後文都省、内務省等に歴任している。その間奈良正倉院御倉間扉の命を奉じてその事務を鞅掌すること二回。更に東京博物館、京都博物館創設に尽力して其の功を奏し我が国美術工芸の保存発達に寄與することが多大であった。明治十年病を以て官を辞し尓来従容自適専ら古今書画什器の蒐集に専念し、その鑑識に力を致し門下の教授に当り国華の発達に多大な貢献をもたらした。明治十五年八月二十一日没。年四十八。東寺狐塚に葬る。晩年の著書「観古図説」は広く梅外にまで知られ賛美された(慶應三 数学)
寸法: 縦36.8cm 横6.0cm
紙質: 和紙
製法: 厚短冊(裏打あり)
模様: 金銀箔砂子模様,はけひき,版模様,雷文
書風:
用字:
書式: 上下句の頭に漢字を揃えない:あり,二行の頭を同じ高さに揃える:あり
風: