畑柳泰


詞書

本文

山松の立るは雲のたへ間哉

署名

元禎

読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 畑柳泰( ~天保3年) 医家。諱は元禎又は維禎。字は泄吉。橋州と号し柳泰と称した。山城宇治の人、上林久兵衛の子、年十三江戸に赴き儒を学ふこと六年の後帰京し龍草廬、皆川淇園、僧蕉仲等の先輩諸老の間を馳駆して才名を賞された。年二二医学院黄山の養子となり医学に志し精研探究、遂にその名声は都下に普ねく。享和三年には法橋に叙せられ、文化十年には法印に昇進した。その著はすところ素問槎識、傷寒論詮註。心医方考等の医学書並びに古文叢。古詩叢。菟道志。峨眉草堂集等の文学書等多数に及んでいる。天保三年三月十日没、年六十八。中堂寺に葬る。(文化十 詩歌 文化十 医家 文政五 医家 再出 詩歌 三出 韻学 文政十三 医家 再出 詩歌 三出 韻学 再出 連歌)
寸法: 縦36.6cm 横5.8cm
紙質: 和紙
製法: 薄短冊(裏打なし)
模様: 漉き模様:打曇り,押し模様:布目
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