田原藤太秀郷 上
しゅじゃくいんの御時にたわら藤太秀郷と
申て、名だかきゆうし侍り。此人はむかしたい
しょくわんかまたりの大臣の御すゑ、河辺の
左大じんうをなこうより五代のそん、従五位の
上むらをあそんのちゃくなん也。むらをあそん田原
のさとにぢうしけり。しかるに、ひでさと、十四さい
に成しかば、ういかうぶりせさせて、其名を田原
たうたとぞよばれけり。ぢゃくはいのころより
てうかにめされ、みやつかへし侍事年久し。有時
秀郷父のもとに行ければ、むらをあそんいつ
よりも心よげにてひでさとにたいめんし、みきを
さまざまにすすめて申されけるは、「人のおやの身
として、我子をいみじく申事はおこがましくや
侍らん。さりながら、おことは、よの人の子にすぐれて、
きやうきたいはい、ゆゝしく見え給ふ物かな。いか
さまにおことは先祖のほまれをつぎ給ふべき
人とこそ見れ。それにつき、我家にかまたりの
大臣よりつたはりきたりしれいけんあり。たゞ
今御へんにゆづり侍るべし。此つるぎをもつて
かうみやうをきはめ給へ」とて、三尺あまりに見
えたるこがねつくりのたちをとり出して、秀郷
のまえにさしおかれければ、ひでさと此よし承り、
あまりのことのうれしさに三度いたゞき、つゝしんで
たいしゅつす。されば、此つるぎをさうでんして
のちは、いよゝゝ心もいさみ、何事もおもふまゝなり。
うち物とつても、弓をひくにも、かたをならぶべき
やからもなし。君のおんためちうこうをはげまし
給ふ事はなはだしければ、しもつけのくにゝ
をんしゃうをたまはつて、まかり下るべきと
さだまりけるこそ有がたけれ。