田原藤太秀郷 中
さるほどに、りう女は藤太ひでさとをさまゞゝに
もてなしなぐさめ給ひけるほどに、やうゝゝじこく
もうつりければ、藤太は大わうにいとまをこひ
りうぐうを出られける。かいちうをあゆむ事、せつなの
ほどゝおぼゆれば、せたのはしにぞつかれける。それより
ちゝのもとにゆき、むらを朝臣にたいめんして、この
ほどの有さまをはじめよりくわしくかたり給へば、
父母ふしぎのおもひをなし、なのめならずに悦び
たまふ。それにつき、竜王のひきで物にこがねづくり
のつるぎ、こがねざねのよろひ、しゃくどうのつりがね
をたまはりたり。つるぎやよろひはぶしのてう
ほうなれば、まつ代しそんにさうでんすべし
かねはぼんせんの物なれば、ぞくの身にしたがへ
せんもなし。三ぽうへくやうすべし。されば、南都へ
やたてまつらん、ひゑいさんへや奉らんと申されければ、
父の朝臣、此よしをきゝて、「げにも誠に一々のきだ
いてうほうなり。中にもかのつきがねをしゃう
じゃにきしんし奉り、たうらいのちぐうをいのらん
こそありがたけれ。諸仏ぼさつの御ないせう
いづれも一たいはうべんといひながら、ことさら三井
寺のほぞんへ奉りたまへ。それをいかにといふに、一つは
当国なり。又かのてらのちんじゅしんら大明神と申は、
弓矢神にておわしませば、しそんのぶげいをいのる
べし。さて又かの寺の御ほぞんは、みろくさつたにて
おはします。此たびのくどくによりて、五十六おく
七千万さい三ゑのあかつき、じそんの出世の御時
けんぶつもんぼうのけちゑんともなるべし。其うへ
なんともほくれいもつきかねすでにじゃうじゅ
せり。かの三井寺と申に、いまにふせうのひゞきも
なし。すみやかに思ひたち給へと有しかば、藤太いさいに
承り、「さらば三井寺へ参ずべし」とて、おんじゃう
寺へつかわさる。千常、三井寺へ参、時のちゃうり
大そう正にゑつして、くだんのおもむき申ける。