八幡疫神詣


データ番号004_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説注連はらふ正月十五日より十九日まで、官幣大社石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に疫神詣をなす。この由来を尋ぬるに、中古(ちゅうこ)花洛へ鬼魅の入らざらむが為めにとて、山城摂津国境に道饗の祭を行はれしに擬へ、江戸時代(えどじだい)には青山祭とて神人など山下頓宮前に疫神塚を築き、節分に追はれし疫鬼を封じ込め、祓をなしたる遺意を辿り、両儀折衷して行はるるなり。その式十八日に山下頓宮前に八角形に竹を立て、一方毎に榊を挿み、南方を開きて齋竹を立て、注連を張り、内に神籬を安んじ、午後三時といふに、神人神饌を供へて祝詞を誦し、八衢彦八衢姫の神を祀り、疫神の退散を祈るなりとぞ。されば都鄙男女老幼社に詣で、そのかへさに破魔弓・白羽の矢・鳩羽の簪・紙鯉などを求めて家苞とし、年々之をとり易ふためしなり。この鯉は俗に出世魚とていと縁起よきものなれど、購ひて小児の立身を祈るよすがとす。除疫と何等関係あるに非ず。かの兼好のつれづれ草に、八幡の本社を山下と心得し逸話のあるが、今の疫神の祭場を山上と誤れるは、神もをかしと笑ひ給はむかし。