千寿万歳


データ番号053_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説あら玉の年たちかへりて、大空も大地も長閑にあけゆくあした、門松注連縄にも春のただよへるさへあるに、折りしりがほに千寿万歳の鼓のねのおとづるるこそ心にくけれ。抑千寿萬歳は単に万歳ともいひ、いにしへ正月十四日宮中に行はれし男踏歌よりいでて、鎌倉時代(かまくらじだい)には伊勢桑名(いせくわな)蓮華寺(れんげじ)の無住国師(むじゅうこくし)に自宗弘布に利用せられ、いつしか同寺領ありし大和(やまと)三河(みかわ)に広まりぬ。是れ大和万歳三河万歳の起原とす。徳川の世(とくがわのよ)、大和万歳は京都に上り、三河万歳は江戸(えど)に下りて、才蔵を雇ひ市井をめぐりしが、星移りて今の京都は概ね三河万歳の流れなり。太夫は引立烏帽子に橘の文様ある素袍よしあるさまに着、黒骨の扇に鼓を持ち、才蔵は装束こそ太夫に似つれ、冠物は品かはれる大黒頭巾に米鉢を入るる大袋を肩にせるは、あまりに興さむるわざなれ。とうとうたらりとうとうたらり徳若に御万歳と、御代とお家の繁昌を幾千代かけて祈るこそ、いづれにもましてめでたけれ。