北野梅花祭


データ番号064_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説寃の濡衣きて筑紫に流され、恨をのみて延喜三年(えんぎさんねん)如月末の五日に薨ぜられし菅原道真(すがわらみちざね)公の御忌日とて、公を祀れる北野神社(きたのじんじゃ)にては此の日梅花祭といふを執行せらる。その前日より西ノ京旧社人の七保会の人々斎戒沐浴して身を清め、境内神饌所にて玄米二斗四升を二度むしとし、二つの大盤小盤の上に大小の円型を押して黒舟に載せ、之れに梅花をさして玄米を入れし甲立てふ紙袋と共に唐櫃に納め、御榊御幣を先だてて行列を整へ、午前十時といふに神饌所をいで東門をくぐり、門外を一周して本社に入れば、宮司以下冠物に菜種をかざして之れを神に奉らる。昔は菜種の御供とて菜種をさして献じけるを、今は公の好み給ひし梅花にかへられしは理なり。その撤饌を受けむとてつどふ人社前堵をつくりさうぞくさま、神もなかなかにほほ笑み給ふめる。