データ番号 | 008_2 |
作者名 | 江馬務(えまつとむ) |
解説 | 弥生の始めの巳の日を上巳とはいふ。三月は辰の月なれば、巳日は除日とて支那周代(しゅうだい)には不祥の日とし、人々水邊にいでて汚を祓ひしが、巳日は後三日となり、我国にてもこれを倣ひて、三月三日には祓とて己が身に擬へし人形に犯せる罪汚を托して水に流し、遂にはかたへに置くこととはなりぬ。然るに藤原時代(ふじわらじだい)には又雛遊びとて小き人形を玩ぶことあり。祓の人形と玩具の人形とはいつしか混同せられ、江戸時代の始め(えどじだいのはじめ)つかたより雛と称して夫婦人形を祭る風とはなれり。是れ雛祭の起原なり。雛は立雛を以て元とす。顔円く目細きは次郎左衛門雛の流れと知るべし。藤の模様あるはぶじに通ぜしむる心なりとか。なよめかしう金屏をめぐらし、燈燭を点じ、左右近の桜橘、数ある女房随身舎人くさぐさの調度並べて、さながら九重の雲井の奥にかよはせ、桃の一枝供へて女児の楽むなど、いづれ聖代の余澤ならずやは。桃は長寿を人に与へ鬼気を去るものなれば、昔は桃酒を飲みしを、今は白酒に易へ桃を飾りて春陽の気を発す。これ桃の節句と名づくる所以なり。 |