曲水流觴


データ番号065_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説弥生初の巳の日は唐土にては除日とていとも不祥の日となし、人々蘭湯に浴して汚を攘ふてぶりあり。後世も水辺にいでて盥洗しけるを、東晋(とうしん)の頃には三月三日曲水流觴とて曲れる水の上流より觴を流して、己の許に流れ来るまでに詩を作る遊びとはなりぬ。わが国にては顕宗天皇の御代(けんそうてんのうのみよ)に既に此の儀を伝へられ、平安朝(へいあんちょう)にも宮中清凉殿(せいりょうでん)の御溝水にてこの御遊びあり。先つころ旧儀古風をまねぶ風俗研究会にても、平安神宮神苑その他にてこの御儀を模し、その盃台には近代のならひとて鴛鴦の木彫を用ひて、古き代の風雅なるてぶりを偲びき。何事も欧米の俗をまねぶをもて心とし、国粋を忘るる現代にはかかる催しもあながち徒爾にはあらざるべし。