北野万燈会


データ番号067_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説一代の忠臣菅原道真(すがわらみちざね)公を祀る北野神社(きたのじんじゃ)にては、元禄(げんろく)の頃より五十年ごとに大祭を行ひ、万燈会とて境内ここかしこに数棟の板葺の燈舎を建て、中に数段の燈明棚を設け、段上の数多き土器に油を盛りて点火す。五千燈千燈五百燈と燈盞の数により燈舎の広狭もさまざまなり。朝日さしのぼる暁より夜半ふくるまで、日毎夜毎に献燈の主も燈火も替りゆきて廿日の間一燈も絶えざるは、さすがに霊験いやちこなる此の神の御徳なりかし。御燈明御心持てふ貼紙に貧者一燈長者万燈の二様をこめて、信者自から点火を願ふもあり。夜は燈火煌々として昼をあざむき、人波舎前に打ちよせて神徳を仰ぐもかしこしや。 068-2文武天皇の御宇(もんむてんのうのぎょう)、大和葛城山(かつらぎさん)の巌窟に籠り鬼を使ひて呪術を営みし役小角(えんのおづの)の宗派を修験道と名づけ、後世醍醐三宝院(だいごさんぽういん)と聖護院(しょうごいん)と二派に分れ、彼を当山派、之を本山派といふ。二派の信者小角の徳を慕ひ、その霊地大和葛城(やまとかつらぎ)金峯山(きんぷせん)に詣づるを入峯といひ、本山派は春熊野(くまの)より廻りて入峯し、之れを順の峯入りといひ、当山派は道順之に反す。よりて逆の峯入といふ。本山派も今はなほ七八月の候退転なく入峯を行ひ、順逆交互に改めしよし。入峯者老若何れも頭に頭巾を戴き、さまざまの色ある篠懸結袈裟脛巾草鞋を着し、笈を負ひ数珠金剛杖もち、法螺吹きて院を出でたつ。その行粧緑紅相点綴して一幅の絵巻をひろげたらむが如し。小角遷化してより一千二百歳の今日、かかる盛儀あるは小角の霊知るや知らずや。ひたすら大聖教化の偉大を仰がれぬ。