データ番号 | 010_2 |
作者名 | 江馬務(えまつとむ) |
解説 | 嵯峨清涼寺(せいりょうじ)釈迦堂(しゃかどう)は嵯峨天皇(さがてんのう)の離宮を源融(みなもとのとおる)公が賜ひしを寺とせられしものにて、三国一の栴檀の釈迦像を安置す。涅槃の日は釈迦仏に御燈明を献ずる意味にてお松明といへる儀式あり。こを釈迦の荼毘を表すと坊間に伝へつるは、恐らく訛伝ならむ。近時三月十五日の夜、本堂前に松の枯枝を藤蔓にて結びし三基の三角形の松明を立つ。高さ二丈五尺もありつらむ。九時ごろ村役場のもの方丈など山門に上れば、この松明に点火す。火は阿修羅のあれ狂ふがごとき凄じき勢にて焔々と燃え、群聚はあれよあれよとどよめき騒ぐ。火勢天を焦がさむずる時、本堂にて念仏あり。この三基の松明は早稲中稲晩稲に擬せられ、その燃え方にて本年の米の豊凶を占ふ。又本堂前には嵯峨村より持ち出しし十二番の高張提灯あり。之を一月より十二月に擬し、この火の燃ゆる瞬間に此の提灯の高低により、米価の月々の高低を占ふとぞ。されば此の頃は真の信者は更なり、近郷の農夫、投機師まで来集し、この景況いかにと見守る。人めも草も枯れ果てて春なほ寒き嵯峨野も、今宵のみはいとど賑ひを呈すとかや。 |