聖護院入峯


データ番号068_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説文武天皇の御宇(もんむてんのうのぎょう)、大和葛城山(かつらぎさん)の巌窟に籠り鬼を使ひて呪術を営みし役小角(えんのおづの)の宗派を修験道と名づけ、後世醍醐三宝院(だいごさんぽういん)と聖護院(しょうごいん)と二派に分れ、彼を当山派、之を本山派といふ。二派の信者小角の徳を慕ひ、その霊地大和葛城(やまとかつらぎ)金峯山(きんぷせん)に詣づるを入峯といひ、本山派は春熊野(くまの)より廻りて入峯し、之れを順の峯入りといひ、当山派は道順之に反す。よりて逆の峯入といふ。本山派も今はなほ七八月の候退転なく入峯を行ひ、順逆交互に改めしよし。入峯者老若何れも頭に頭巾を戴き、さまざまの色ある篠懸結袈裟脛巾草鞋を着し、笈を負ひ数珠金剛杖もち、法螺吹きて院を出でたつ。その行粧緑紅相点綴して一幅の絵巻をひろげたらむが如し。小角遷化してより一千二百歳の今日、かかる盛儀あるは小角の霊知るや知らずや。ひたすら大聖教化の偉大を仰がれぬ。