今宮やすらひ祭


データ番号014_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説洛北今宮神社(いまみやじんじゃ)のやすらひ祭は京洛奇祭の一たり。神社は長保三年(ちょうほさんねん)疫癘蔓延に際して疫神として勧請せし所にして、藤原時代(ふじわらじだい)より疫ある毎に御霊会を行はれ、洛中の児女鼓笛を奏でて参詣せしことありき。是れをやすらひといふ。やすらに果てよとの意なりといふ。古より花咲く頃、疫神分散して疫を与ふとの迷信より昔は三月十日に行はれ、今は一月遅れて催さる。其の行列警固は麻上下につぎどの鉾を奉じ、氏子の一人神人を扮し御幣を持ちて供ふ。次々椿松柳桜山吹などを飾りし錦蓋は裃の者に、棒持せられ羯鼓もてる二人の少年、烏帽子赤ISO/IEC(39CC)を戴き緋縮緬の打掛半袴の襷がけ、後に鬼四人緋縮緬の打掛に白鉢巻し、二人は黒毛をかむり鉦を打ち、他は赤毛にて太鼓を打つ。後に素袍二十人ばかり皆刀を肩げ、やすらひ花よの寂蓮作の歌を謡ひ、鞨鼓鬼は踊り狂ふ。この鬼は昔宮中(きゅうちゅう)追儺に黄金四目の面を被りし方相氏が鬼を追ひしことありしが、方相氏の恐ろしき姿はいつしか鬼と誤られ、疫鬼を追ふ条體にかく鬼形の出でしなり。春日遅々として興趣長く尽きず。戯事に類して戯事に非ず。人をして唖然たらしむ。諺に曰く、今宮のやすらひ祭見るも阿呆見ぬも阿呆と。