データ番号 | 022_2 |
作者名 | 江馬務(えまつとむ) |
解説 | 洛中洛外の神祭中、神輿の美は稲荷を以て白眉となす。稲荷祭は平安朝(へいあんちょう)に起源を発し神輿田楽の行列あり。江戸時代(えどじだい)にはお多福座頭狐などの仮装行列めきたる祭礼にて神聖の感なかりしを、安永三年(あんえいさんねん)速水恒幸(はやみつねひこ)祭礼を根本的に改め今日に至りしなり。今は四月中午日神幸、大幡を先だてて御真榊大幣御杖御鉾御楯御弓箭御剱のあとに楽人道楽を奏し、御錦蓋御翳は菅笠に氏子総代つづく。次に黄金しろがね眩ゆき五社の神輿は、氏子のここらの逞しき青年之を舁ぎつつ打ちふりゆく。その勇ましさいふばかりなし。中には年四五才なる子供の鉢巻でんち着たるが、親の肩に乗りて従ふなどいとをかし。近来舁手人数払底し、已むなく神輿に車を装置し、打ちふりつつ曳きゆくほど、祭礼すら時代の潮流に支配せられゆくかといと嘆かはし。神輿のあとには神馬唐鞍馬唐櫃宮司多数の氏子講社など随従して旅所に至り、五月上卯日といふに、又旅所より五条橋(ごじょうはし)を渡りて伏見街道(ふしみかいどう)より本社に還幸あり。沿道幕を張り屏風を立て、盛装して祭礼を拝し、洛中の偉観たり。 |