端午節句


データ番号020_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説端午の節句は女児上巳の桃の節句に対し男児菖蒲の節句とて、今も具足武具を飾り菖蒲艾粽を供へ、幟を立て紙鯉を上空にあぐること都鄙ともに異らず。此の端午といへるは始めの午の日の意にて、支那上代にては五月始の午日を用ひしが、後五日に改められしなり。具足を飾る来由はかの屈原(くつげん)汨羅に投ぜし時、群船之を助けむとて急ぎ漕ぎしよりとも、呉子胥(ごししょ)を迎ふる船の急ぎ漕ぎしよりとも伝へて競渡の風を生じ、我が国に伝りては推古の朝(すいこのちょう)には薬草を競ひ採る風となり、転じて平安の時代(へいあんのじだい)には印地打競馬騎射の風とはなりぬ。此の日はかく尚武の日となりにしより、鎌倉時代(かまくらじだい)には九重の雲井の奥にては兜花とて菖蒲、艾にて兜を作り、天皇に献上せしためしあり。足利の世(あしかがのよ)には檜製の兜となり菖蒲兜といふ。江戸(えど)昌平の世には兜武者人形などを造りて門前に並べ、その巧を誇りし俗やがて移りて、床の間にまことの兜具足などを飾ることとなりしなり。菖蒲艾は共に薬草にて邪気をはらふの効あるものなれば用ふるなり。旧習かつかつ絶えゆく世にもかかる風の残れるは忠君愛国の至情の表現にして、男児は前途の勇健をことほぐ良味のこもれればなるべし。