賀茂葵祭


データ番号023_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説若葉色まして風涼しき皐月十五日賀茂葵祭挙行せらる。祭は欽明天皇の御宇(きんめいてんのうのぎょう)に始り、天智の御代(てんじのみよ)には官祭に列せられ、藤原時代(ふじわらじだい)には行粧善美をつくし、単に祭といへば此の祭を指したりき。今も看督長検非違使志尉山城使、菅傘御幣櫃、内蔵寮聞生馬寮使寮は御馬唐車、舞人勅使、花傘、陪従内蔵志、花傘などの長列、朝とく御所(ごしょ)よりいでて下賀茂社(しもがもしゃ)に入り御幣物を奉じ、勅使の宣命朗読、寮の御馬の拝殿、三匝東遊の奏などあり。了りて更に上賀茂社(かみがもしゃ)にて同じ祭を反覆し、賀茂堤を還立の御儀あり。その行列仮装すべて平安の昔に準ぜられ、束帯褐衣狩衣水干などの装束より馬の粧ひに至るまであでやかに、紅緑紫白とりどりに日に映え、放免のつけものの珍らかなる唐車の典雅なる、花傘の優艶なる、げに一幅の絵巻物を広げし如くきらびやかにて目もさむる心地ぞする。列の人々は皆葵桂の枝を冠にかざすにより葵祭といふ。古より雑閙にて見所もなきより、物見車の車争たてば木にのぼりて見し逸話もあり。今もなほ昔ながらに沿道人を以て埋り、この古典的神祭を拝す。藤原時代の風俗を居ながらまのあたり見る心地して、そのかみを偲びゆかしともゆかし。