繁昌祭


データ番号081_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説花洛高辻室町(たかつじむろまち)にある繁昌社(はんじょうしゃ)は昔長門前司某の宅趾にて、その女とある病にてみまかりし時、幾たびか鳥辺野(とりべの)に葬らむとせしも其の屍柩より抜けいでて家に止まりしより、ここに塚を築きこの社を作りていはひこめしなりとぞ。さるをいつしか祭神を針才女と誤解し、更に之を繁昌と附会して子孫繁昌を祈るに効ありとて詣づる人いと多し。昔七月廿日の祭には人々裸にて神輿を舁ぎ洛中をかしき祭の一なりしが、今は五月廿日草木も眠る深更、神輿は白黒の筒袖の衣きる今熊野(いまくまの)の人々に舁がれ、四条烏丸(しじょうからすま)より松原(まつばら)をめぐりて還幸す。夜更といひながら裸の人もなきはその筋を廻るるにや。此の町内は此の日さまざまの作りものを店頭にかざりて技の巧妙を争ふとかや。