藤森祭


データ番号027_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説呉竹の伏見(ふしみ)の里にみな月のおとづれて端午を陽暦に改めし五日は、名だたる藤森祭なれば墨染(すみぞめ)わたり人波うちよす。此の祭は縁起によれば、天応元年(てんのうがんねん)の外寇に早良親王(さわらしんのう)が本社に武運長久を祈り敵軍を破られしより、異国降伏を忘れぬしるしにとてかく尚武的の祭礼を営みなりしとかや。行列は朝わたりとて歩武志騎馬武志、次にお弓とて弓おつとれる騎馬武志、次に御鎧とて大鎧着用の武志、次に武装せる稚児馬の列あり。各列の中には台傘立傘挟箱大鳥毛槍長刀旗纏の道具など介在罷列し、旌旗森の朝風に飜り鎗眉尖刀は日に輝く。その間に幾百の武志は威気揚々として紅葉の鎧の袖を列ね、兜の星芒は四辺を拂ひ、宛然として源平合戦の勢揃を見るが如し。神輿三基は午後一時頃より氏子の町々を廻る。又午前十時より午後四時まで稲荷榎木橋(えのきばし)南にて駈馬あり。こは笠を冠り細しやつなど着たる男、韋陀天の如く馳せて曲藝を演じ、人をして思はず快哉を叫ばしむ。中には馬上文字の曲書もあり。古の鎧武志の競馬の名残とぞ聞えし。当社の祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)などにておはせば、かかる武技を見そなばして一入をかしとおぼし給ふらむ。