解説 | 縣祭に沸き返りし熱閙(ねっとう)の宇治町は(こ)、踰へて三日の六月八日宇治神社(うじじんじゃ)の祭にて再び絡繹す。この宇治神社は仁徳天皇御弟稚郎子皇子(わきいらつこのおうじ)などを祀る。五月八日の神幸には猿田彦命の面神符破魔弓古太刀の行列につぎ、神輿三基の動座あるが、六月八日還幸に先だち大幣神事とていとも古き由緒ある神事あり。大なる弊の上に布張の三枚の笠を附し、大弊山(おおぬさやま)より採りし松の枝を添え、中程に男二人左右に男四人之を舁ぎ奉り、弊には又千六百枚の小弊を垂れたるが、鷺の文様ある帽額の傘笠鉾翳持の後に続き、其後には下駄三足もてる子供黒直垂の垣の内二人・御酒の人神職など供奉し宇治橋(うじばし)に至り、此処にて神人は祭文を厳かに朗読して祓をなし、それより旅所を経て緑社に至り梅と和布の神供あり。これより大弊を倒し地を引ずりて宇治橋に至る。この弊に触るれば凶事ありとて、人に等しく之を拝すといふ。昔は円満院の宮(えんまんいんのみや)は平等院(びょうどういん)におはして此の神事を御覧ぜられ、已後茶雑煮を召されしとぞ。その祭の形式古くして世の類稀なるところ、誠に洛中洛外を通して年中の奇観たるを失はず。 |