稲荷御田植


データ番号083_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説千早ふる神代の昔天照大神が青人草の食ひて生くべきものぞと宣ひつる米の初穂を、まづ神に供へて祭るもかしこき太古の遺風なれば、官幣大社稲荷神社(いなりじんじゃ)にても昭和御大礼の記念として、向日町(むこうまち)の神田にて六月廿日の頃御田植の式を執行せらる。当日、宮司以下神職楽人舞妓管理奉耕手など祭場に参進、宮司祝詞の後、四人の舞妓は緑ふかき汗衫の袖かるく御田拝を奏し、八束足穂の秋をことほげば、管理者は宮司より玉苗を受けて少女にさずく。畦に並立つ男女あるは太鼓を打ち、あるは御田に植ゑましよ玉の苗てふ歌をうたへば、田に下りたつ少女は赤裳すそひき玉苗を神田に植う。そのさま鄙びたる中にもみやびやかなる古へのてぶりの見えてゆかしともゆかし。三ケ峯はるかに見えて神も見そなはすらむとかしこし。