七夕と盂蘭盆


データ番号037_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説文月七日は牽牛織女の二星、天の川に架せる鵲の橋を渡りて一年一たびの邂逅をなす日なれば、此の夜瓜果を陳ね五色の糸を竿にかけて、裁縫織染の巧を祈り、書道楽舞の妙、文才を乞ふに一として効あらずといふことなし。この俗唐土より起り、我国にも将来せられて藤原時代(ふじわらじだい)に宮中堂上家(きゅうちゅう・どうじょうけ)に行はれにしが、元禄頃(げんろくころ)より民間にて五色の紙を色紙短冊形に切りて笹に吊し、末期には硯帳西瓜などの造物を作りて中に点火し、網瓢などをも懸けて門外に立てぬ。この床しきてぶりは市井にては絶えたれど、今も鄙に残りて八月初旬に行はる。その頃には盂蘭盆も早や近づきぬ。盂蘭盆には亡き人の精霊来るとて精霊棚を設け、香花枝豆大角豆根芋茄子瓜蕎麦などを供へ、燈籠に点火し棚経を誦して亡霊を慰む。児童は「よいさつさ」とて定紋つきし提灯を持ちあるき、竹を横たへ提灯を数多さし陳ね、竹笛を吹き歌うたひて町々をありく俗昔ありしが、これも今は鄙にのみその名残を留めて、京の町には見むよしもなし。蓋し盂蘭盆、供燈と歓喜踴躍の念仏踊などより生ぜしてぶりなるべし。風俗の新陳代謝如実に行はれて、古俗都会より鄙に移り漸く泯びゆくはげに興あるならひなりかし。