祇園神輿祓


データ番号032_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説我が国三大祭の一に数へられて洛祭の起原をなす。祇園祭は官幣大社八坂神社(やさかじんじゃ)の祭にて、清和天皇貞観十一年(じょうがんじゅういちねん)天下疫せし時、六月七日日本国数の六十六本の鉾を社頭に立て、踰えて十四日洛中洛外のおのこども神輿を神泉苑(しんせんえん)に奉じ、御霊会を行ひ除疫を祈りしに始り、今は七月十七日を神幸祭、廿四日を還幸祭となす。祭に先だち七月十日神輿祓といふ式あり。午後九時ごろ血気にはやる若者ども、神霊も安置せず飾もなき神輿を舁ぎて社より四条大橋(しじょうおおはし)の中央に据え、清々講社二五本神祇組日供講社並びに氏子総代など手に提灯もち之に供奉す。やがて本社より白浄衣きたる神人来りて、榊を鴨川(かもがわ)の清き流れに浸し神輿に濺ぎ奉り、すがすがしく祓ひ終れば、神輿再び元の道を社まで戻らるるなり。此の頃は鴨川をわたる風夏も残らず冷やかなれば、納涼かたがたこの式を見むと四条通大橋の上など人波うちよせて、交通巡査の制止をも聞かばこそげに物凄じ。空には山鉾の下稽古の祇園囃子の音もかよひて、祇園会のゆたけき気分を咬り来るなど京都盛夏遊楽の第一にぞかぞへられし。