データ番号 | 033_2 |
作者名 | 江馬務(えまつとむ) |
解説 | 藤原の世(ふじわらのよ)に起りし祇園会は神輿の動座とともに数多の剱鉾の先駈田楽法師の供奉により行列は華麗を極め、南北朝(なんぼくちょう)には大嘗祭の標山を祭りし造山曲舞車を加へ、その造山は後世の山となり、曲舞車は足利の世(あしかがのよ)には鉾を屋根に立てて後世いはゆる鉾となり。今も長刀函谷月鶏放下船鉾あり。いづれも切妻の屋根に心木を高く虚空を摩し、水引胴幕見送前氈など倭唐はさらなり、遠く和蘭の繍ISO/IEC(7D88)の美と巧を尽し、装飾の彫刳の技一として凡ならざるはなく、克く綜合芸術の典型を示せり。十日といふに山鉾を組み立つ。夜に入りては山鉾に無数の提灯を吊し火を点じ、鉾の上にては浴衣がけの囃子手ども太鼓に鉦に笛に昔面白く祇園囃子を奏で、融々たり洩々たり。声梁塵を動かし、天衆も此に天降り、日に見えぬ鬼神の心もなごむらむとぞ覚ゆる。釜の中にある心地のすなる夏の頃なれば、近き遠き老も幼きも山鉾の町につどひ、人形を拝し守をうけ、さまざま恵みの露に浴する人も多かり。月半天にかかりて露気いよいよ清く、楽の音は夜とともに冴えゆく。 |