解説 | 文月十七日は来りぬ。祇園会と思へば暑熱いとど烈しき心地ぞする。午前九時といふに長刀鉾を先頭として、鉾六基は縄にて曳かれ、山十三基は舁がれて巡行し始む。順位は去る十五日鬮にて定めしところ。それ長刀鉾は鉾中の随一、元三条少鍛冶宗近(さんじょうしょうかじむねちか)作の長刀を真木の上に立てられしも、今は代作のよし。柵上の小人形は和泉親衡(いずみちかひら)の像、破風彫刻は片岡友輔(かたおかともすけ)刀、屋根裏群鳥は松村景文(まつむらけいぶん)の筆、麒麟の刺繍水引は江戸初期製、二番水引は八珍薬の図にて中島華陽(なかじまかよう)の下画とす。巡行中綺羅を飾れる稚児は舞の手ぶりゆたかに、禿は両側より清風を送るもゆかし。囃子手より折ふし投ぐる粽は除疫の効ありとて人々争ひ拾ふ。鉾より奏づる祇園囃子の傍に音頭取の音頭の勇ましきエイヤエイヤの掛声と共に、巨山の如き鉾の練行するも何たる壮観ぞ。山中の白眉占出山は神功皇后(じんぐうこうごう)鮎を釣りて戦勝を占はるる處にて、水引は卅六歌仙、胴幕は日本三景、その順位早きは其年の安産の兆なりとて悦ばる。家々には幕太簾を懸け神燈を掲げ金屏あり。狩野(かのう)の墨絵円山(まるやま)四条(しじょう)土佐(とさ)などの色調麗はしき屏風あり。宛然として屏風の展覧会を見るが如し。廿四日の還幸祭もまた一山九基いづ。景況前に劣らず。かくて京洛の夏の景気はこの祭礼にかかはること多しとかや。 |