弦召


データ番号035_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説祇園山鉾巡行の日、夜に入れば神輿渡御あり。打ちならす大太鼓の後に弓矢組鎧武者卅名見座鎧武者六名を先頭に、真榊幸鉾太鼓鉦鼓神馬鉾楯弓矢釼琴錦蓋菅傘勅裁御板駒形稚児宮司神人などの行列の後、三社の神輿は多勢の若者に舁がれて渡御せらる。この弓矢組武者は俗に犬神人とも弦召とも称し、昔より松原通川東(まつばらどおりかわひがし)弓矢町(ゆみやちょう)に住し元弓の弦を造り、洛中へ弦召せ弦召せとて売りに出でしより、いつしか弦召そといひならはししなり。由緒ありて夙に祇園(ぎおん)と本願寺(ほんがんじ)に奉供し、正月には大内(おおうち)に参りて毘沙門経を訓読し、又懸想文売にも出でたり。この武装の由来は戦国の世(せんごくのよ)神輿渡御の時警固の為めなりしとかや。引立烏帽子金襴の肌衣に差し、さまざまの威毛の兜具足を帯し、太き緋縮緬の帯など結び引、敷の皮をかけ、背に榊幟などの差物も異様にて、我れこそ大将ぞといはぬばかりに扇をかざし、足もとどろと力強く大地を踏みゆくもをかしきに、後より団扇にて煽ぐ。その風もいかばかり具足を通すらむといと笑止なり。