後の祇園会


データ番号088_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説先の祇園会に遅るること七日にして後の祇園会あり。渡御は上下観音山橋弁慶山鯉山浄妙山などすべて山九基に過ぎざれど、山の結構人形服装武器調度に至るまで皆何れも工藝美術の粋を攅め、その美観は先の祭の数多き山鉾にも拮抗するに足りぬべし。観音山は名は山といへ、牽山とて大縄もて牽きゆくところ鉾と異らず。上より祇園囃子の高くひびくも遊戯即念仏祀れる楊柳観音の霊験を祈る心にもや。橋弁慶山は五条橋の欄干の上に牛若丸高足駄を穿ちて立てる神技をさながらに表はす。その神技もさるものながら、人形師康運(こううん)の妙技こそ三嘆に値せざらむや。氏子の家々の屏風も今日を晴れと天下の名品を蒐めて、祭と共に流石わが国三大祭の随一ぞとうたはるるもげによしあることなり。