下賀茂矢取神事


データ番号038_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説古は水無月卅日に大祓とて過ぎし半歳にわたれる世の民草の罪咎を祓ひ給ふ御式ありしに倣ひ、諸社にても亦大祓の御儀を行はれしが、その名残は今も猶下賀茂神社に六月祓とて挙行せらる。立秋の前頃かとよ、神人糺川の清き流れに五十串の御幣を立て、その前にて大祓の式を行はる。井上の社に種々のためつものを供へ、大祓の祝詞を誦し、科戸の風の雨の八重雲を吹き放つことの如く、世の人々の汚を祓ひて式終るや否や、その川の向岸に裸形にて立てる附近の男児ども幾人といふ数を知らず、一時にどつとその川に飛び入り、その五十串をわれ先にと抜き取らむとす。あるは一の串に二人とりあひ争ふもあり。あるは人の取りしを奪ひ返さんとするもあり。さながら天巌戸の御籠りの時、さばへなす八十神の狂ひ荒ぶるに異ならず。やがて神人等糺の社に行き、神に祈りて式を終る。この五十串を矢と誤りて矢取神事と称へ、その五十串をいづれも家に携へ帰りて保存すれば福ありといひならはせり。そもそも祓は我国神代より伝れる神ながらの道にて、倭民族の心事の潔白を表せる良俗なり。この祓の霊験に浴せむとてつどふ人の多きも又ことわりなるかな。