大文字


データ番号040_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説盂蘭盆に亡き霊の来るを送らむとて、昔は七月十六日枯(胡)麻を焼き虚空に投げ上げて精霊の送火といひけむを、今は八月十六日に所々に北の手向をすめり。送火の最も大仕掛なるは京都東山(ひがしやま)如意嶽(にょいがだけ)の大文字を始め、西賀茂(にしかも)の船、金閣寺山(きんかくじやま)の左り大、松が崎(まつがさき)の妙法、西山(にしやま)の鳥居に若くはなし。この大文字は大の一劃三十八間、左竪の一劃八十五間、右竪は六十八間の大さにて、昔は薪を地に植ゑて焼きしを、江戸時代延宝(えんぽう)よりは木を井桁に積みて点火することとなれるなり。この起原に就ては北辰祭の(066994)の名残、あるは弘法大師(こうぼうだいし)足利義政(あしかがよしまさ)横川和尚(よこがわおしょう)芳賀掃部(はがかもん)が起したるなど凡そ七説はあり。又筆蹟も大師横川などの説あれど、中川喜雲(なかがわきうん)著寛文二年(かんぶんにねん)刊案内者といへる書に、近衛三藐院信尹公(このえさんみゃくいんのぶただ)の筆といへるは當を得たり。従つて慶長(けいちょう)の頃より始りしことなるべし。大の字の意味は仏教道教悪魔追散は五芒星形を大の字に崩したるものなるらし。焔々として東山の一角に夜闇を破りて偉大なる光輝を放てる大文字こそは、京洛歳事中の異彩にして、そを大廈の楼上物干、見どころなくば屋根の上より一家団欒して眺むるも納涼を兼ねたる清興なり。