解説 | 焼けつく如き夏の日もやうやく西に沈みて、涼しき風の軒端を掠めてそよふけば、地蔵まつる家々は早や紅提灯に点火し、町内の男女児夕げも忘れて嬉々として戯る。地蔵尊には帳幕の奥深く御厨子の中、紅白の綿に包まれて大悲の温容を示現し給ふ。御前には三具足を始め餅南京芋鬼灯などを供へ、中には僧を招じて百万遍の大珠数を回向の声と廻らしつつ、大珠われに来りし時拝せしむ事もあり。町内にも地口行燈を吊し漫画と共に世を諷するもをかし。畚下し素人浄瑠璃さては舞踊会など催して、小人よりも日頃顔さへあはさぬ大人どもむつれあふも地蔵尊の御利生とぞ覚えし。抑地蔵菩薩は平安朝(へいあんちょう)より大に信仰せられ、信西入道(しんぜいにゅうどう)は六体の地蔵を六地蔵に祀り、平清盛(たいらのきよもり)は之を御泥池(みどろがいけ)山科(やましな)鳥羽(とば)桂(かつら)太秦(うずまさ)伏見(ふしみ)に分ち、西光法師(さいこうほうし)は七月廿四日を以てその供養日とせしが、昔より賽の川原の地蔵といはれ、賽は幸に通じ幸の神即ち道祖神と混同せられて町々に地蔵を安置することとなり、地蔵は来世にて小児を労るといふ仏説より専ら小児の祭とはなりけるなり。 |