石清水放生会


データ番号089_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説放生会は仏教の教理に基づき捕へし生物を放つことをいひ、むかし養老年間(ようろうねんかん)異国来冠彼我死傷多かりし時、宇佐の神顕れて宜しく放生せよとの託宣ありしよりこの祭を行ひしを、石清水八幡(いわしみずはちまん)之に倣ひ円融天皇延久二年(えんきゅうにねん)此の社の放生会を興しぬ。古は八月中秋なりしを、今は一と月遅れて行はる。午前一時といふに三の鳳輦は上郷参議次将代御下の官人の供奉にて、道楽を奏しつつ山下頓宮に神幸あり。ここにて官幣神饌を供へ楽を奏し、宮司の祝詞朗読あり。神威まことに迫るを覚ゆ。午後五時更に列を整へて山上に還幸。その儀礼一に行幸に準ず。古は魚を放生川に鳥を男山に放つことありしも今は絶ゆ。ただ行粧目もあやに長列甫々として昔ながらに執行せられ、拝観者多く賀茂祭に対比して南祭の名は今も昔とかはらぬを見るはうれし。