北野瑞饋祭


データ番号044_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説北野瑞饋神輿は洛中の秋を飾る景物の一なり。元西ノ京の社家重陽の日新穀菜蔬を盛り草花を之に挿して社に献ぜしが、一条天皇の御宇(いちじょうてんのうのぎょう)より八月五日の官祭に献じ、応仁乱後(おうにんのらんご)九月四日社家会同し御供槽の人物花鳥などを穀菜果実にて造りて供す。爰に造物風流献上の風を生じ、慶長十二年(けいちょうじゅうにねん)二ノ保御供所にては葱花輦形を瑞饋の縁より芋茎にて造り、芋茎神輿と称し本社に据ゑ、後西ノ京各所を巡行し大将軍(たいしょうぐん)も亦之に倣ひぬ。明治七年(めいじしちねん)には遂に之に御分霊を移して巡行せしが中絶、明治廿三年(めいじにじゅうさんねん)より又再興あり。明治八年より始められし十月四日の神幸、鹵簿の後よりこの神輿も随行することとなりぬ。今も猶ほ西ノ京のみは一社残り、骨子は木製なれど穀豆を貼接し人物花鳥獣介を模造し、湯葉麩海苔等を以て色彩をつけ、外観の華麗技術の精妙、真に洛中祭礼中の竒観にして、而もその意匠は毎年改められ年を趁ふて急竒急妙なり。この装飾物は祭礼の翌日神輿関係の各戸へ頒布せらるるなりといふ。