太秦牛祭


データ番号046_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説やすらひ祭と共に見るも阿呆見ぬも阿呆といはるる京洛の奇祭太秦(うずまさ)の牛祭の由来を尋ぬるに、慈覚大師(じかくたいし)帰朝の昔、海上安穏を摩多羅神に祈り、帰朝後この祭を始めしなりと。一説に恵心僧都(えしんそうず)広隆寺(こうりゅうじ)に三尊仏を刻し、その法念の退転なからむ為め此祭を修すと。祭りの主旨は国家安穏罪障疾病除去を祈るにあり。十月十二日夜、方丈より行列出づ。高張ちりん棒太鼓銅拍子の白丁少年松明持の次に、赤鬼青鬼各二人の四天王紙面に白衣を着し三叉鉾を持ち、其の後に摩多羅神は張抜の面にダシといへる冠を戴き、笄を挿し白衣きて牛に跨る。西門を出で山門前を東門より入り、祖師堂前の拝殿を三匝し五大尊拝殿に上り、神は祭文を棒読みに誦すれば四天王之に和す。拝観の輩之を防げむとて悪口雑言するなど阿鼻叫喚の境に入るが如し。祭文よみ終れば、五大尊は韋駄天の狂ふが如く祖師堂に飛び込む。観衆より捕へられざらむが為めなりと、昔は戻りには京につれなし、牛祭といはれし深夜の行事なりしが、今は肩摩轂撃の盛況を呈し、祭終れば観衆何れも茫然として狐狸に魅せられしが如きおももちなるはをかし。見るものは愚よなどいひ罵るものの、年ごとに観にゆくこそ更に怪しくをかしけれ。