解説 | 明治廿八年(めいじにじゅうはちねん)は桓武天皇平安京に奠都ましましてより一千一百載に当りしかば、天皇を奉祀する平安神宮(へいあんじんぐう)は古の大極殿の建築に擬して造営せられ、十月廿五日その祭礼として一千年の風俗をまのあたり観らるる時代祭といふを始めらる。現今は毎年十月廿二日に催され、その行列は列外に維新勤王隊丹波弓箭組、本隊には江戸時代(えどじだい)徳川城使上洛式、槍持傘持がヒーサの掛声と共に手替のものに投ぐる早業をかしく、織田信長(おだのぶなが)入洛式は信長羽柴(はしば)丹羽(にわ)柴田(しばた)など一騎当千の武士を伴ひ馬上ゆたかに歩を運び、城南流鏑馬式は承久(じょうきゅう)の昔の狩姿勇ましく、藤原(ふじわら)文官参朝式はやんごとなき公卿の束帯馬上の風姿あでやかに、太鼓の響鼕々として続く一隊は延暦(えんりゃく)武官の出陣式、挂甲短甲の装ものものし。唐ぶりなる延暦文官参朝式のあとには御神霊を鎮めまつりし鳳輦の渡御ありて雅楽の音も身に沁む心地す。殿する市役所吏員議員の面々のシルクハツトの姿も、当世風俗の標本と見ゆるもをかし。近年維新(いしん)勤王隊は壬生青年の奉仕にて予の考証せ處、頭に白黒の毛を被り三斎羽織括袴を着し、刀を佩び銃を肩にし、鼓笛に歩調を揃へて堂々濶歩する所、げに懦夫をして起たしむるの慨あり。列中出色のものと称せらる。 |