八瀬赦免地踊


データ番号091_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説洛北八瀬(やせ)の地は元弘(げんこう)のむかし忠勤の廉により免租の地なりしを、宝永年間(ほうえいねんかん)叡山との間に結界争あり。時の老中秋元但馬守(あきもとたじまのかみ)の尽瘁にて再び免租の恩沢に浴せしより、村民何れも但馬守を徳とし、その社を村に建て毎年十月十一日報恩のしるしとて踊を行ふ。当日音頭取三人を先頭に十二人頭従ひ、そのあとに町内の長男各二人により作られし八個の切子燈籠を冠れる八人の踊子は、女子にも似たる花小袖着て続き社に詣づ。午後十時頃より打ち出す太鼓の音と共に音頭始れば、踊子手ぶりをかしく踊る。抑かかる燈籠踊は元禄(げんろく)の昔洛北松ケ崎(まつがさき)にて盂蘭盆に行はれしかど、旧俗泯びて今残らず。これこそ唯一の遺風ならめ。更闌けて月傾き山間の冷気身にしみ、踊の衣裳も露にそぼてど踊は止む時なく、東天やや紅を呈して踊子の姿三々五々とはふれゆくとかや。