顔見世


データ番号050_2
作者名江馬務(えまつとむ)
解説霜月も早や暮れなむとすれば、四条南座(みなみざ)にはことごとしく竹の矢来して東西名優の招看板を高々と掲げ、諸方よりの寄贈品を山と積みて景気を添へぬ。昼夜興行の絵看板殊にきらびやかなり。早や師走も近づきしかと心そぞろあはただし。こを俗に顔見世といふは、昔は歌舞伎俳優十一月より座元を交替して一ケ年の契約にて新座元へ抱えらるるなれば、霜月朔日より三日乃至十五日、座着とて役者長上下にて舞台に列座し名乗口上を述べ、手打とて若者十人或は二十人も一組となり、この優の褒言葉を謡ひ拍子木を入れ一々披露する定にて、その後銘々得意の藝を見するなりと、これ顔見世の真意義なり。明治以降(めいじいこう)劇界はかかる制度も泯びしかど、尚ほ昔ながらに顔見世の名の存して、特に名優の大一座にて興行す。いつの興行にも師走の忙がしさもよそにして、破れむばかりの大入を続けぬるは、流石綜合藝術の偉大なる力に感嘆せずんばあらざるなり。