平安人物志(文政5年版) ( 文政五年壬孟秋成刻 ) Page 00299 に見られる記述 分類: 律学 釋宗淵 - : - : - ( 小原 普賢院) - (俗称) 平安人物志(文政13年版) ( 文政十三年寅初冬再刻 ) Page 00449 に見られる記述 分類: 律学 釋宗淵 - : - : - ( 大原魚山 普賢院) - (俗称) - 欄外記述: 仝(今様) 平安人物誌(天保9年版) ( 天保九年戍五月改刻 ) Page 00602 に見られる記述 分類: 律学 釋宗淵 - 号 : - : - ( 大原魚山 普賢院) - (俗称) 平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00777 に見られる記述 分類: 緇流 釋宗淵 - 号 : 真阿 - : - ( 大原 前普賢院) - (俗称) - 欄外記述: 習古学 「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説 名前: 宗淵(真阿) 解説: * 宗淵(天明6年〜安政6年) 僧(天台宗)。俗姓久松氏。幼名正丸(佐太丸)諱は正信後能瑞。法号松月軒宗渕。京都の人、北野神社々僧光乗坊能社の子、天明六年十月二十五日生。十三歳出家して名を能瑞と改め、天台の学に精進したが、文化九年二十七歳の時洛北大原普賢院の住職となり、同十二年十月には宮中に召されて御懺法の会衆に列席して御嘉賞を&cx4749;り法印の位を賜わった。その後近江の坂本走井大師堂に隠栖十余年の後伊勢津の西来寺に迎えられて同寺第二十一世の法灯継ぎ、嘉永六年六十四歳法灯を弟子観1海に譲り引退、安政六年八月二十七日七十四歳を以て入寂した。師はことに書誌の学に精しく山家本法華経をはしめ法華経考異その他多くの覆刻本が特異な版式と装釘を以て残こされ、宗渕本又は西来寺版の名を以て称賛されている。尚菅公の事蹟を集録した「北野藁草」壱百巻も師の著述にかがるものである。(文政五 律学 文政十三 律学 天保九 律学 嘉永五 僧習古学) |
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