平安人物志(文政13年版) ( 文政十三年寅初冬再刻 ) Page 00401 に見られる記述 分類: 画 沢渡繁 - 号 : 精斎 - 字 : 公栄 - ( 四条烏丸東) - (俗称) 沢渡茂吉 平安人物誌(天保9年版) ( 天保九年戍五月改刻 ) Page 00552 に見られる記述 分類: 画 紀広繁 - 号 : 精斎 - 字 : 世昌 - ( 四条烏丸東) - (俗称) 沢渡精斎 平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00665 に見られる記述 分類: 儒家 紀広繁 - 号 : 清斉 - 字 : 世昌 - ( 四条東洞院西) - (俗称) 沢渡近江大掾 平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00702 に見られる記述 分類: 画 紀広繁 - : - 字 : 公繁 - ( 四条烏丸東) - (俗称) 沢渡精斉 平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00827 に見られる記述 分類: 儒家 紀広繁 - 号 : 清斉 - 字 : 世昌 - ( 四条烏丸東) - (俗称) 沢渡内蔵少属 平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00856 に見られる記述 分類: 画 紀精斉 - : - : 再出 - - (俗称) 「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説 名前: 沢渡精斎 解説: * 沢渡精斎( 〜明治18年) 画家。姓は紀、名は広繁、字は公栄又は世昌。精斎はその号。別号竹居、通称澤渡茂吉。京都の人四条烏丸東洞院に住した。画を紀広成の門に学び後に貫名海屋に従って画風を一変した。又詩文を善くし朝に仕え内蔵寮史事となり近江大椽に任じ従六位下に叙せられた。日野亜相の親任厚く常にその招請に應じて詩文に興じた。明治の初め東京に移り住み明治十八年四月五日没した。年七十八、東京淀橋区常円寺に葬られている。(慶応三 画家) |
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