平安人物誌(天保9年版) ( 天保九年戍五月改刻 ) Page 00600 に見られる記述

分類: 文雅
簗瀬千崖 - 号 : 芭蕉堂 - : - ( 双林寺中) - (俗称) 簗瀬冷斎


平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00756 に見られる記述

分類: 文雅
北村九起 - : - : - ( 東山双林寺) - (俗称) 芭蕉堂


平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00896 に見られる記述

分類: 文雅
北村九起 - 号 : - : - ( 万寿庵中) - (俗称) 朝陽堂

平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00897 に見られる記述

分類: 文雅
河村公成 - 号 : - : - ( 東山双林寺) - (俗称) 芭蕉堂


「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説

名前: 河村公成
解説: * 河村公成( 〜慶応4年) 文雅家(俳人)名は百古又の名は軌。字は子文、号は失得斎。京都の人東山雙林寺内芭蕉堂に住し芭蕉堂五世と称し又南無庵六世と称した。或は一事庵の号もある。俳諧は錦波長の門人であり且つ板琴を巧みに弾じた。維新の志士と交わり勤王の事に尽したが慶應四年六月六日佐幕方のために暗殺された、年六十一(慶應三 文雅)

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