平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00756 に見られる記述 分類: 文雅 北村杜鷲 - : - : - ( 麩屋町四条南) - (俗称) 北村菴 「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説 名前: 北村杜鷲 解説: * 北村杜鷲( 〜嘉永5年) 文雅家(俳家)。通称万屋五左衛門。杜鷲はその号。大阪堂島の米商北国夘兵衛の長男。俳優市川白猿と親しく享和二年相伴って江戸に遊び麹町に居を構え万屋五兵衛と称した。後専ら誹諧をもって諸方を遊歴し、文政四年京に上り四条橋東岸に寓し十一年薙髪して北村庵土鳥と号し、天保二年号を杜鷲と改め麩屋町四条に移って旅館を営み、屋号も北村庵と称したが、嘉永五年二月二十一日、七十二歳を以て没した。四条寺町大雲院に葬る。諡号隆盤居士。此の北村庵には明治元年、田能村直入(時に五十五才)が寓居し庭前に画室を造り幽谷斎と称し画業に励んだが、杜鷲の娘おうめは後に直入の後妻となっている。(嘉永五 文雅) |
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