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建部凌岱 : たけべりょうたい : TAKEBE RYOOTAI
「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説 名前: 建部凌岱(あやたり) 解説: * 建部凌岱( 〜安永3年) 俳人。名は孟喬、初め凉岱と号し後凉岱と改めた。画号を寒葉斎という。尚このほかに綾太、綾足、吸露庵などの別号がある。陸奥弘前藩士喜多村校尉の二男、若年京都に上り東福寺に入って僧となり唱首座と称したがその間俳諧を野坡に学び葛鼠と号して俳道に精進し、且つ画を巧みにした。後北国に趣いて都門と号して活躍したが遂に還俗して江戸に移り俳歌及び絵事を以て業とするに至った。門弟も多く名聲も揚ったが京に上り妻を賀茂真渕の門に入れて学ばせ自らもまたその説を聞き遂に片歌を提唱し、日本武尊を開祀と仰ぎ自らは其中興の祀を以て任じた。安永三年東遊し武州熊谷駅にて病没、年五十六。伊勢物語考異、歌文要語、片歌道のはじめ、同二夜問答、俳諧明題集等、物語、和歌・俳諧に関する著述並に寒葉斉面譜,建氏画苑等繪画関係の著書が数多く刊行されている。(明和五 画家) |
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