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人物名 |
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本文 |
杉山檢挍は遠江浜松の人也。十歳にして瞽者となれり。其性、豪爽にして凡ならず。眼は盲たりといへども、名を天下に成んことを欲し、十七歳の時、鎌倉に至り、江嶋の岩屋に入て断食し祈ること三七日、丹誠比類なし。されば満る夜の夢に鍼と管とを得ると思ひて覚メたるに、その物、実に掌中にあり。いとかたじけなく、諸侯よりの招に応じて、病を愈スことしばしば也。終に大君の召を蒙り、日々に御前に侍るに、或ル日、望むことありやとの御命有しに、只一つさむらふよしを申す。何事ぞ申ぜ、とあれば、目一つ下され候へと申すに、侍らふ人も皆大に笑けり。君は戯言ながら哀におぼして、本庄一つ目といふ所、一町四方給りて、五百石扶持し給ひ、目一つなるは、と興じさせ給ふ。其後又、三百石御加恩あり、檢挍職に任ぜらる。今も僧録やしきとてあり。弁財天を勧請し、又つねに観世音を信じ、慈悲を専らとし、いやしき盲人を救ふこと多し。海内の盲者、皆その恩を蒙る。京師に清聚庵の地を賜り、これを建る。高倉綾小路の南 瞽者一流の規矩こゝに中興せり。京にも江戸にも其木像を安置し、永世其徳を仰ぐ。終れる年元禄七年甲戌六月廿六日也。子孫世々其録をうくとぞ。 |