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人物名 |
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本文 |
広沢は細井氏、名は知慎、書名高うしてもとより文学あり。画またかろく書の因にかけるもの逸興あり。且算術に通じて其著述の書有。経済の才もありければ、諸侯の国に新田を開きしことも聞ゆ。凡多能の人也。こゝに奇なる一話を挙ぐ。赤穂の四十六士のうち大高源吾にしたしみ深かりしが、予め其復讐の謀をも洩しけん、打入ル夜ひそかに書を贈りて、今暁事を果さんとすと告しかば、沢が家、吉良氏の館に近きにより、やがて他へ適まねして門を出、人しれず家の棟に登りて其さまを窺ふ。さてやうやうことしづまりぬとおぼしき比、帰りたるふりにて内へ入リ、たゞ独起居て出居にありし間、門をたゝくものあり。心得て自戸を明たればはたして大高氏にて、おもひを遂たるよしをかたり、脇ざしの小刀をぬきてかたみにとて与ふ。武林唯七もまた相しる人なりしかば、具に別を告て、是は血に染たる手覆をとりてあたふ。されども広沢生涯人にかたらず。自此事を記して彼形見と共に一つの函に納め、封じてひめをきしを、歿後子息九皐何やらんとひらきみてはじめてしれり。今もつたへて其孫藤右衛門家宝とすとなん。 (追記) 蒿蹊云、此伝、細井家相識、江戸の人に聞て記す。義士事に先だちて密謀をもらすに、その信義のかたきをしる。はた、其ころ義士の知己なるむねをいつはりて身の栄とせし人も多かりし由なるを、生涯口に出さず、子弟といへどもしらざりしは用意抜群の人なるを、他事におよぼしてもおもふべし。義臣伝に羽倉斎といへる神道者、大高氏にむつびて、吉良氏の館の案内を記しあたへたりとかきたる、其斎とは荷田春満のこと也。羽倉家に伝ふる説なしといへども、彼書にしるせるはよくしる人ありしならん。凡文雅に名高きほどの人は、義にくみするも厚きなるべし。もしたゞ名利のために文雅をうりて信義乏しききはの人は、骨冷ずして名先滅す。たとひ残る名あるも亦いやしむべし。 |