[ 日文研トップ ] [ 日文研データベースの案内 ] [ データベースメニュー ] |
人物名 |
|
||||||||||
追記 |
|
||||||||||
本文 |
法眼和尚は平安の人、黄檗、独堪禅師の法嗣にして、性清廉、温柔、しかも学識あり。摂津国天王寺の側に一宇を建て法福寺と号け、即こゝに住す。同学、紀伊国の円通和尚と紀州和歌山光明寺開基なり。前編に誤りて加賀の人とかきて後に改めしむ。 並び行れ、又意気も相通ず。一時両師京にあられしに、法眼、円通にとひ給ふ。祇園街に茶屋とよぶ家どもあり、和尚は其家へ入給ふことやおはすと。円通、いなしらずとこたへ給ふ。さらばけふは共に行て見侍らんとて、手を携てかの所に至り、いかにも軒高く門大なる家を見て、こゝよかるべしとつと入りて、吾レは摂津の国の法眼。おのれは紀伊の国の円通也、あるじは何といふや、とことごとしきに、主ジおどろきながら、かねて知識の名を聞及びしかば、先さるべき一間に請じ、家名など述しが、女どもの立チまはるをみて、あるじはむすめあまた持れたりとみゆ。皆是へまねかれよとあれば、あやしきながらよび集めたる時、両師つくづく見て、さてよき育也。親の身にしてはさぞうれしからん。因縁にもなるべきなればいざ三帰を授ん、皆合掌し、吾いふごとく唱へられよとて、やがて高声に授給へり。はやそこたちに用はなし立れよとて、両師もついでかへらんとし給ふを、あるじとゞめて、とゝのへ申ものさふらへば奉らんと、万ヅきよらに器などあらため饗応し、布施までしきければ、念比に回向して帰り給ふ。さて其様を人に語り、茶屋といふものはおもしろく丁寧なるもの也。若き僧達の行カんとするよしなるは理也、とあり。其後はたゞの家にてもてなしにあひても、茶や茶やと呼給ふ。又一時両師戯場の前を過給ふに、随侍の僧見たくおもひて、欺きて、此うちにはさまざまたうときことあり、拝み給はんやといふ。両師しばしもの思ひがほにて、けふは某がもとへ心せけば、重ねて参らん、先是より結縁せんと、木戸口にむかひ、三礼し給ふ。其後は戯場の前を見物者の行かふをみては、けふも参詣多しと仰す。又円通和尚、京なる富豪の相識家へ行給ふに、何やらん騒しければ、何ごとぞと問給ふ。けふは息某が婚礼にさふらへば家の内も静ならず。こよひは他へおはして他日御入給へといふ。師うなづきながら、其婚姻といふものいまだ見及びたることなし。すこし見せられよと望給ふ。あるじももてあまし、中々御僧の見給ふべきことにはあらずといへど、いなくるしからずと動き給はねば、ぜひなく、さらば隠居の祖母が一人あらるゝ所へおはせと、あないまうしければ、さらばとて終夜普門品を読誦し給ひしとぞ。なほ此両師の奇話、法語などおほきよしなれどもよくしらず。実に意路不通の道者といふべし。 (追記) 蒿蹊云、前編に予が円通和尚のことのみ聞まゝに一条しるせるを、花顚はこゝに法眼和尚を合せて出せるは遺漏しを補ふなり。みる人重複をもていふことなかれ。 |