河内の国日下の里に、樵を業とする貧者清七といへるものあり。母は富人の家の乳母たりしかば、貧しき世を経ても、口腹のことに倹することあたはず。然るに此子孝ありて、あしたには人よりもとく山に入、ゆふべには人よりもおくれて帰り、其間に他二人にあたるばかりの業をなす。其一人が分は常のまかなひに充テ、一人が分をもて母の好める食をとゝのへ、ともしげもなくもてなしけり。或日母鶉のあぶりものをのぞみたりしに、其日は暮たれば、明る朝とく起て、市に行てもとめんと用意したる時、窓にあがるものゝ音せしかば、童どもが戯に、土くれなどうちけるよ、とおぼえながらいでゝ見るに、鶉二羽落て有ければ、喜びてとくすゝめけり。孝のまこと至けるなめりと、その里の豪農日下氏伊駒日山人の話成となん
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