江戸にて俳諧にしられし法眼不角老人が妹を妙船といふ。京橋槇河岸、松村半兵衛といふものゝ母也。此婆氏、志貞にしてよろづの道を辮へ、その上、後世のつとめねもごろに、他力の念仏怠なくつとめけるが、いつの比よりか、夕暮の看経の時、妙船が頭上へ仏壇より数点の光明かゞやき、又はうしろより光さして仏間を照に、家内おどろきてこれを拝みたうとむより、近隣へも聞えて、夕暮の勧行をかうがへて人々あまた来つどひ讃嘆し、日比信心口称のしるしあらはれたり、といひはやすを、妙船かつてうけがはず、吾身は罪悪の凡夫、五障の女人也、かく拙なき穢身より光明おこらん事は有ルまじ。もとより其罪を滅すべきほどの行者にもあらず。おもふに魔事ならんと、仏前においてこれを歎き、若シ大悲の本願に乗し、光明摂取の御利益に預り奉るとならば命終をこそ期せめ、平生の光明は望所にあらず、願くは速にとゞめさせ給へと至心に念じけるが、ある夕暮仏間の二階とおぼしく、何やらん物の音頻にきびしかりければ、妙船あやしみ子息へ告て速二階を見せしむるに、古ル狐の大なるが、二階の窓より飛出て逃失たり。此よしを告しかば、妙船さこそといひて、念願空しからざる報恩の称名して、ますます信心堅固也き。しかるに此尼の従弟に与惣右衛門といふもの、若き時は放逸なりしが、蓮系といふ尼に帰依し念仏をはげみ、是も白色の砂子をふらす故に、人々尊ぶことおほかたならず。妙船かたへ来りて念仏唱行するにも、砂子をふらしければ、召つかふ男女、近所の者もよりつどひ争ひて是を拾ふことをよろこぶ。妙船またうけがはずして、男女たゞ此砂子をひろふに意を奪れ、要とする念仏は至心にあらずと歎き、又仏前にて是をとゞめさせ給へと哀愍をこふ。されば又、与惣右衛門来りて別のごとく念仏すれども砂子かつてふらず。時に妙船いはく、われ此奇怪をよろこばず。かへりて往生の障ならんことをなげくが故に、如来前にて念願したれば、我家にてはいかほど念仏せらるゝとも砂子はふるべからずと示しければ、与惣右衛門大キにふづくみて、一言もなく出去り。是より後は妙船と不通になりしとなん。凡ソ世間、仏によらざる人は信実の奇特をもうけがはず、又信者といふものは邪正の差別もなく黠智の者にも欺るれば、まして狐狸の業通においてをや。さるに此尼信の堅固なるによりてかへりて奪朱の魔障をうけず。信ルヲ信も信、疑フモ疑ギヲ亦信といへる古語的当して、女には殊に奇特なり。称せざるべけんや。
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