空蓮大徳は近江信楽郷の人にて他力念仏の信心深し。されば世間の人、念仏すれば必得ル往生ヲと云本願の不可思議をわきまへず、疑ふ心を悲しみ、いかにもして現益を示し導んと祈誓し、里遠き巌屈にいりこもり、飲食を断て、一心に念仏念願し給ふこと七日七夜也しに、夢ともなくうつゝともなくて阿弥陀仏現じたまひ、汝がねがひ仏意に愜へり、よりて此藕糸を授る也。此いとの奇特をもて、衆生を済度し、疑念をはらせよ、と宣ふと覚えてゆめさめぬ。たうとさ身にしみて、感涙雨のごとく、合掌敬礼し奉るに、やがて掌中より藕糸出ること操出すがごとし。こゝに於てみづから名号を書写し給ふに、是を拝して称名する人は合掌の手中、藕糸を生ずること賢愚をわかず。或は金色、あるは青、黄、赤、白、又短長の差別あるは其信の浅深によるか。たゞし大疑心ある悪埒のものはかへりていとを生ずること多し。近江にて一人うたがふて、其名号を持する僧に巧思ありて、手洗ふ水の中に薬をまうけこの糸を生ぜしむるもはかるべからずとおもひ、渋をもて手をぬりかたむること三日にして後、彼寺にいたりて僧の指揮のごとく合掌称名するに、手指たゞ蜘のいとをまとふがごとくなりたれば、あまりのことに大声を出して号泣し、従来の悪意を懴悔し、是より念仏の信者となれり、と其僧かたらる。此ごろ又或ル律師も此名号を持して拝せしめらる。予も拝膽してこの奇特を感じしれり。空蓮大徳、大字は十幅、小幅はかずをかぎらず、人のねがひに応じて書給ふとかや。しかれども世に残るもの稀なれば、或人は臨写して念ず。律師もまた臨写をやがて板に彫て印施ありしに、ともに拝見口称すればいとを生ず。あるは境を隔てもこれを念ずれは糸生るを正しく見たり。此和尚の始末よくしらずといへども、此願心の奇特をもて伝をたつ。手跡は祐天大僧正に似てしかも能筆とみゆ。名号の左右に天下和順、日月清明、と四字づゝわかちかき、正中の下に廓誉空蓮と記し、玉のかたちににたる花押あり。
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